第四十七回目 パッチェンの「国民の現状」


国民の現状

      ケネス・パッチェン


入口を入ってすぐの小さなテーブルに、男と女が二人
ビール二本と、空瓶二本を前に座っていたと思ってくれ。
そのまわりを数十人がたむろしながら時間を
つぶし、酩酊していた。もう何をしても何の意味も
なかったのだ
誰かが若い女の方を見やって、誰かが言った
   スペインはえらい騒ぎらしいじゃないか
でも女は顔を上げさえしなかった。目を半分上げようともしなかった。
それからジャックが自分のビールを手にとった。ネリーも自分のビールを。
そしてテーブルの下で、脚と脚をすり合わせた。
誰かが柱の時計を見やって、誰かが言った。
   ロシアはえらい騒ぎらしいじゃないか
お巡りが二人の売春婦がいっしょに入って来た。お巡りは二人ぶんの飲み物しか注文しなかった。
女の一人は梅毒持ちなのだ

この苛立たしい地上で、どうしてこんなことが起きるのか、いつかまた
こんなことが起きるのか、誰も知らなかった
でもジャックはまた自分のビールを手にとった。ネリーもまた自分のビールを。
そして、合図でもあったように、小さな男がせわしげに入って来て
カウンターの所まで行くと、「よっ、スティーヴ」とバーテンに声をかけた。

        編 D.W.ライト/訳 沢崎順之介・森邦夫・江田孝臣
        『アメリカ現代詩101人集』〔思潮社)より


○『アメリカ現代詩101人集』の解説によると、この詩の作者ケネス・パッチェン(1911−72)は、「無政府主義、平和主義の立場に立つプロレタリア詩人。既存の形式やジャンルにとらわれることなく、ジャズと詩の融合、絵画と詩の融合など、さまざまな実験を繰り返した。ビートの詩人たちに大きな影響を与える。」とある。この詩がいつ頃書かれたものなのかは記載がないので判らないのだが、書かれた当時の世界情勢、たぶんスペインの内乱とか、革命後のソヴィエトロシアの国内事情といったような出来事に全く無関心な若い女や、自分たちのことしか頭にないジャックとネリーのカップル、目をつけた売春婦に酒を勧めている警察官などの登場する酒場の風景を映画のシーンのように描くことで、無気力無感動に陥っているアメリカの「国民の現状」を告発している、という感じの作品だ。世界で起きていることに対する人々の「無関心」ということがテーマになっているようで、男女カップルは机の下で「脚と脚をすり合わせて」いるし、警官は梅毒持ちでない売春婦にだけ酒をおごっている。つまり人が(性的な)「欲望」に憑かれている状態への倫理的な洞察のようなものが、この作品のもうひとつの特色で、それらのことがあいまって、見方によってはありふれた場末の酒場の日常風景のなかに、人々が無関心と欲望の鎖に繋がれている煉獄のような情景を現出させているという感じだろうか。そういう意味では「国民の現状」というより「現代人の現状」とでもよびたいような雰囲気がある。なお、アンソロジー詩集では作品の末尾に、(E)という訳者が江田孝臣氏であることを示すイニシャルの表記があるが、それは試訳の担当者という程の意味で、実際にはそうした試訳を持ち寄って、翻訳者の人たちが共同で検討と議論が重ねたすえに、掲載詩の形になったことが「あとがき」でふれられているので、ここでも書き添えておきたい。




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