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++ 日記 ++

2004/10/31(SUN)
 どうもだめだなあ。
 私は自分の周りの事件、できごと、ニュース性のあるものをあまり詩にしないのだけど、詩を書く人間として、その態度はどうなのか、あたりを27日の日記では問題にしたかったのだけど、後のほうがバテた。いつもそうなんだ。意気込んで書くのだけど、最後がダメ。尻切れトンボになっている。自分の詩も、そういえばそうだな。最後がしまらない。テニスでは、スタミナあるのにな。
 私は社会派ではない。前の詩集のあとがきに書いたように「私詩」というぐらい個人の五感が直接ふれたもの、ささやかな感覚の揺るぎを書いていきたい。けれど、一方で、他人のことは、世界のことは書かなくていいのか、という声も聞こえる。
 戦争詩を書いた詩人たちは、どんな思い、どんな考えで行を建て、発表したのだろう。「戦争協力詩」といわれる作品を書いた人も、心から戦争を肯定して書いたのではないのではないだろうか。複雑な思い、心のゆらぎが、あった人たちがきっといただろう。ならば「戦争反対詩」を書けばよかったじゃないかとまた言われそうだが、その当時の時代状況の中で、その立場をはっきりさせることがいかに困難であったか。少なくとも私は自信がない。それだけの信念もなければ勇気もない。
 (こんなことを、こんなところに書ける時代に生まれて、ホントによかった)
 以上、27日の補足。
  *   *
 今日は10月最後の日曜日。
 朝5時ぐらいで、雷と雨、雨。明け方の雷なんて、めずらしい。そんなんで目を覚ましてしまい、ポテトチップスを食べながら、漫画「太陽の黙示録」(かわぐちかいじ) を読んでいた。
 この漫画はすごい。2002年に日本を4つの大地震が襲い、琵琶湖を境に日本列島が分断され・・という近未来空想パニックものだが、そこから日本再生に向け立ち上がる人間の姿がリアルでいい。作者欄には、一人の名前しかないから、構想、セリフ、絵ともにかわぐちかいじ氏によるものだろう。恐るべき想像力、そして才能というべきだろう。(もっとも、絵はあまり好きではない。細かい線が多い。)

2004/10/27(WED)
新潟で大きな地震が起きて、4日たった。ニュースはその報道で忙しい。土砂崩れで埋められていた乗用車から、2歳の男の子が生きて、救出された。その母親は、力尽きて、亡くなった。長女はまだ見つかっていない。//イラクでまた、イスラム過激派による日本人の人質事件は起きた。24歳、男性。周りの人の制止を振り切って、バスで乗り込んだ旅行者。//今日、夕方、近くの警察署に、学生を引き取りに行った。(私は日本語学校に勤務している)彼らは数ヶ月アパートの家賃を滞納。水道もガスも止められて、外の水道から水をもらおうとしたところ、大家に見つかり、一人が逃げたので、警察に通報され、連行された。//今日は寒かったので、あったかいトン汁を作ろうと思った。ところで、中に入れるものは何か。豚肉、里芋、ニンジン、ゴボウ、こんにゃく、厚揚げ・・・スーパーで買っていて、うちの田舎の「芋煮汁」と「けんちん汁」と、トン汁って、どこが違うんだ、と疑問が湧き、確かめようもなく、まだ??のまま。//地震、イラクの人質、外国人学生、トン汁・・・「詩」はどこに降りる?オレニトッテ、詩トハナニカ?

2004/10/21(THU)

今、この日記を開く前に、メールボックスを見た。灰皿町仲間の倉田良成さんからのメールに、きのう日記に書いた西脇氏のタイフーンの詩のタイトルと全行がのっていた。うれしかった。その詩についてわかったことより、読んで、反応してくれた人がいたこと。青くさいのを押して言えば、他人との間に細い線が引けたこと。

実は、私も気になっていたので、図書館に行って調べたんです、今日。偶然ですねえ。

倉田さんのご指摘どおり、「秋」というタイトルで、詩集「近代の寓話」に収録されている。実は、この「秋」という作品は、�気鉢兇瞭鵑弔了蹐�らなっている。私の記憶にあったのも
倉田さんのメールにあったのも、�兇諒�で、以下の9行だ。

 「秋」
  
  ��
 タイフーンの吹いている朝
 近所の店へ行って
 あの黄色い外国製の鉛筆を買った
 扇のように軽い鉛筆だ
 あのやわらかい木
 けずった木屑を燃やすと
 バラモンのにおいがする
 門をとじて思うのだ
 明朝はもう秋だ

ね、鉛筆を削ったときの木の香りがしてきませんか。
「扇のように軽い」というのも、なんともいい。
「バラモン」って、何のことか正確に知らないけれど、知らなくてもなにか荘厳な、僧侶の影が差して、「門をとじて」とよく合う。意味がわからないことが、ここでは深い味になっている。合う、といえば、「タイフーン」と「黄色い外国製の鉛筆」と「けずった木屑」のにおいもきれいな三角形をなしている。

ちなみに、この「秋」の�気鬚劼い討�こうと思う。

 潅木について語りたいと思うが
 キノコの生えた丸太に腰かけて
 考えてる間に
 麦の穂や薔薇や菫を入れた
 籠にはもう林檎や栗を入れなければならない
 生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で
 神酒を入れたヒョウタンを磨き始めた

ウーム、やっぱり私としては、�兇諒�が好きだな。

2004/10/20(WED)
台風23号の雨風で、びしょ濡れになって帰ってきた。
自転車通勤で、東京ー埼玉またいで荒川越えて20分だから、傘を差しても濡れてないところはないほど濡れた。まったく!

台風の日は、西脇順三郎のタイフーンの詩を思い出す。
と言いたいところだが、正確なフレーズを1行の思い出せない。10数行の短い詩だった。「黄色い鉛筆」が出てくる。削ったときの木の香りもしたような。
どこにしまったのだろう。読みたい気分なのだけど。

2004/10/18(MON)
16,17の土日、群馬の富沢さんの「まほろば」に行った。
釣りが好きな詩人たちと、5人で。16日の午後から白石かずこさんの「昼下がり朗読ライブ」があったので、それを目当てに。白石さんは深沢七郎、西脇順三郎、吉岡実、北園克衛、森茉莉、ケネス・ネックスロスなどの人となり、思い出、エピソードを交えながら、巻紙の長い詩を詠った。それから、群馬の詩人たちと食べて、飲んで、泊まって、次の日は萩原朔太郎をたずねた。前橋の敷島公園内に移した、書斎、土蔵を見、前橋文学館で朔太郎の資料を眺め、郊外にある彼の墓にも、道に迷いながら詣で、手を合わせた。

2004/10/14(THU)
2004/10/14(THU)
最近読んだ詩から。

   黒の時

 五月雨に濡れるカーテンに包まれ
 蟻は忍び泣いた
 ガスバーナーに焼かれて死んだ親友のこと
 ハチミツをなめすぎて肥満になり
 穴にこもったきり出てこなかった知人のこと
 見上げても見上げても
 大きすぎて視野におさまらなかったクリムトの絵‥‥
 それら無数の記憶のかけらが狭い頭の中を行き交った
 無声映画のシーンのように
 大して深い意味もなく
 擬眼みたいにチカチカ笑う夜明けの星に
 「ずっとぼくを見つめていておくれよ」と言いたかった自分
 新品の家具のむせかえるニスの香りと強い色
 それら一つ一つが近づいては消えるたび
 蟻は静かに前足を噛んだ
 血の通わない身体を震わせて
 ただ訳もなく侘しくて
 そしてふとつぶやいた
 「ピアノが弾けたらな こんな時」

   *    *    *

 先日の「クロコダイル」での朗読会で、この詩の作者と初めて会った。酔っ払って、いろいろなことを話した。
自己紹介代わりに詩集をもらって、読んだ中の1篇が、これ。私にとっては、ちょっとしたカルチャーショックだった。知らない街の散歩、新しく発見された天体の映像・・・現実の場面からは遠く離れているように思うけれど、読む側の感受性に迫る力、リアリティは十分感じられる。ややもすると、イマジネーションを効かせた作品は、独りよがりの、読む側には届かないものになる場合があるのだが、これは届いた、私も遊べた。(どこで、どうして、届く、届かないが分かれるか、それが問題なのだけど)
 「おいしい」という一言の、中身はどんな味か。
 例えば、生クリームの、あんこの、みかんの、トマトの、セロリの、クレソンの、ビフテキの、豚足の、ハムの、秋刀魚の、ふぐ刺しの、味噌汁の、海苔の、お茶の、水の、空気の、おいしさはそれぞれ違うはずなのに、たいていの場合、「おいしい」一言で片付けてしまう。
 本題に戻すと、この、「黒の時」という29行は、食べたことのない、でも、「おいしい」とつい言ってしまった1篇なのですね。
 最後の1行もおもしろい。こんな終わり方、あるの?といったそばから、ウン、イイのだ、といった自分がいた。
 それにしても、「黒の時」って、なんだろう。
 最後まで明かさなかった、この詩の作者は、渡辺めぐみさん。詩集「ベイ・アン」から。

2004/10/6(WED)
3日の土曜日、渋谷「クロコダイル」の朗読会に出かけた。
ハガキを3通もらい、朗読する人も知り合いが多かったので、行く気になった。行って、一人片隅で聞いていれば、うまく神経が撹拌されて、1編の見慣れない作品でも生まれないものかなと思ったんだけど、行ったら、シミリンさん、桐田さんがステージ前に陣取っていて、ついそこに割り込んでしまって、結局、1行も生まれず、3次会までの酒びたりになってしまった。
けど、楽しかったなあ。

雨と仕事の忙しさと、だからテニスもできず、詩も生まれず、このところ鬱々としております。光を!

2004/10/2(SAT)
今日は俳句の会に行くつもりだったけど、急にうちにいなければならなくなって、じゃ、と思ってBSで「イチロー」をやっていたので、今日はどうかな、思いながら見た。そして、「イチロー」の、あの歴史的偉業の瞬間に、ラッキーにも立ち会うことができた。もとから、ビデオをセットして後で楽しもうと思っていたんだけど、やっぱりリアルタイムがいいとも思っていたし、急用ができてよかったのだ!・・・なんて、興味がない人には、なにをそんなに騒いでるのだ!って見えるかもしれないけど、とにかく、ワタクシはこの数週間、今日の、258安打目のあの瞬間を夢見て日を送ってきた気がする。
なんなんだろう。なんでこんなに興奮し、楽しめるのだろう。
はっきりわからないが、たぶんに「判官びいき」的共感があると思う。体だって大きくなく、ホームランバッターの派手さはなく、技術でパワーをねじ伏せ、いやおうなしにその実力を認めさせたイチロー、本場アメリカに乗り込んだ一人の日本人・・・。そう、彼は自分と同じ日本人なんだ、という無自覚の意識の作用も、否定できない。そして彼は謙虚で、ストイックで、人柄もいい、なんてベタ褒めだね。
イチローと比較するのはホントおこがましいけど、彼にきっちり力をもらった。どんな力か、形は見えないけど、確かにもらった。
そんな力が、スポーツにはある。スポーツはいい。



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