2004/8 [HOME]

++ 日記 ++

2004/8/31(TUE)
夏休みの間、海、山へ行く以外に詩も2,3編書くつもりだったが結局、1編も書けなかった。
詩が書ける、書けないってどういうことなんだろ。毎日同じように物を見て、感じて、笑ったり泣いたり(?)してるんだけど、詩のタネがふわっと引っかかるときもあれば、ことば一つ掬えない日もある。
どうも詩は書こうとして書けるものではない気がする。
書こうとして書けないわけじゃないけれど、そうやって書いた詩は、どうも胡散臭いにおいがする。

書けないときはどうするか。
読む。ひたすら読む。好きな詩人の作品を、浴びるほどに。
その海に身を任せていると、そのうちポコッと浮いてくる。詩が、思いがけない姿で。

そんなふうにして生まれたのが、詩集「ア」に収めた
「そして」という作品。

 そして
 いきをしていることにきがついて
 ハッとして
 ハッとしてもなにもかわらないことに
 ハッとして

 さらのうえのオムレツののこりを
 スプーンにのせ
 くちのちかくにはこぶと
 くちは
 ひらくのだ
 きまっていることのように

谷川俊太郎氏の「朝のかたち」という文庫版の詩集をその日は朝から読んでいて、ふらっと入った食堂で、オムレツを食べているときに、ポコッと浮かんで、あわてて手帳を開いて書き付けたものだ。最初に書き付けた、そのままの形。
うまく言えないけど、「書けた」という感じが残ったので、初稿のまま載せた。
詩集への反応の中で、2,3の、あんな詩が書けたらな詩人から、「そして」に対して肯定的な返事をいただいた。うれしかった。ここまで手さぐりだったけど、なにか今後の方向性がほの見えた感じがする。
ついでに言うと、谷川さんの「芝生」という作品も、そんなふうにふっとわいた作品じゃないかと思う。いわば、自分が導体となって、何かに突き動かされて、書いたというよりできちゃった詩。

 そして私はいつか
 どこかから来て
 不意にこの芝生の上に立っていた
 なすべきことはすべて
 私の細胞が記憶していた
 だから私は人間の形をし
 幸せについて語りさえしたのだ
        (谷川俊太郎「芝生」

今日で8月も終わり。台風16号の過ぎ去った後だからか、やけに暑かった。

きょうみつけた詩。
時間調整の喫茶店で、持ち歩いている文庫本の「空の青さをみつめていると」(谷川俊太郎�機貌匹鵑任い燭蕁△海了蹐�あった。

 <接吻>

彼女は他の男の匂いをさせて帰ってきた
そこで僕は彼女に接吻できなかった
それから二人は太陽の熱さの残っている
ふとんに入った
その日は一日いい天気だった
それでも僕は接吻できなかった
彼女は自分の胸をぴったり僕の胸に押しつけた
それでも僕は出来なかった
彼女が別の女のように思えた
ふたりの会う前のようだった
まだ僕が彼女のあそこを知らないで
日曜日にはひとりで釣りに出かけた頃のようだった
あの小さな沼のそばで冬の薄日を眺め
誰かに会うのを待っていた頃のようだった
僕はおそろしかった
それでも僕は出来なかった
そうしていつか眠りこんだ
大きな草原のような夜だ
いつまで駆けてもいつまで駆けても

その文庫本にはたくさんの詩があるのに、この詩が他の詩より一歩深くおれに入ってきたのはなぜだろう。
生々しさ、それだろうか。
「接吻」「あそこ」・・・さっぱりしたエロスの味だろうか。
まだ「少年」である青いやるせない心の描写だろうか。
おそらく、それら全部が入り混じり、ぴったりおれに寄り添ってきたのだ。おれは分析せず、ただ味わったにすぎない。

2004/8/27(FRI)

酒田の海でハゼ釣りをした。
長く突き出ている突堤の根元の砂浜で、おそらく地元の人は遊ばないであろう一画。
去年見つけて、ハゼの入れ食いとワタリガニの手づかみを経験した。
今年は、早起きするからお願いと言う甥っ子と姪っ子を連れて、あそこなら君たちも楽しめるからと。
ところが来ない。あたりが・・・ない!
あれだけ群れていた子ハゼは?足の甲をくすぐったワタリガニの赤ちゃんは、どこ行った?
あせって、キス用の竿と仕掛けで投げてゆっくり巻いたら、ググッと三匹、型のいいヤツ。
それから、姪に来て、ワーイワーイと飛び跳ね、しばらくして甥っ子の浮きが沈み、ヤヤヤと上げると、デカイゼ、こいつ。
去年よりあたりは間遠いものの、上がるのはけっこうな大物ばかり。
三人並んでひざ上まで立ちこんで、釣っては歓声を上げ、針をのまれただの、えさのイソメ、ちぎれないだの、けれど実際釣りが好きなようで、止める気配なく、結局昼近くおなかがすいたということで、納竿。
クーラーにはハゼ59匹、黒鯛の赤ちゃん1匹、いいサイズのワタリガニ1匹。
また遊ばせてもらった。
二人ともいい笑顔していた。

2004/8/24(TUE)
9日間の夏休みが終わった。
海に行った。山に行った。
子どもたちと川遊びをした。
友だちでいてくれる人たちと数回酒を飲んだ。
台風の夜、明け方まであらゆる荒れ狂う風の音を聞いていた。
ふるさとはそこに、いつものようにあり、
ドタバタ歩き回り、帰った印をつけるのを許してくれた。
ありがとう。

2004/8/13(FRI)
さて、夏休みだ。
いなかに帰って、ゆっくり・・・というわけにも行かない。
まず、父の法事。ハテ、何年目かな。とにかく、父は62才でなくなった。
父はアマチュアカメラマンだった。納戸に写真のコンテストでもらった、盾やトロフィー、カップがいっぱいあった。新聞にもよく載っていた。農村や漁村に出かけて、パチパチやり、夜中にうちで現像していた。写真屋さんをやったこともある。カメラは全然売れなかった。
釣りもセミプロ級だった。浜からのキスの投げ釣りなど、小さい体で、竿のしなりをうまく使って、びっくりするほど遠くまで飛ばし、大物を上げた。
外国の推理小説、今でいうミステリーのマニアだった。毎日のように、深夜起きて、スタンドの光で読んでいたらしい。「デイック・フランシス、おもしろいぞ!読んでみろ」という父に、「競馬の話だろう、興味ないよ」と拒否したのを覚えてる。かわいそうな父。その当時、酒田の本屋の主が、「たぶん、君のお父さんが酒田で一番多くその種の本を持ってるよ」と言うので、ちょっとびっくりした。ごめんね、父さん、デイック・フランシス、全部読んだよ。あなたの残したミステリーはほとんど読んだ。ウン、確かにおもしろい、ミステリーってやつは。
おれの高校卒業記念だったか、「広辞苑」を買ってくれたね。その裏表紙の裏に墨で「未来の詩人のために」って書いてくれた。おかげで、やっと詩人といわれるようになりました。そう、きちんと報告したいから、今日あたり枕元に出てきてよ、ね。なくなってから、一度も表れないじゃない、話したいこといっぱいあるのに、水臭いよ。

2004/8/9(MON)
7日の土曜日、桶川市にある「さいたま文学館」に行ってきた。2004年の埼玉文化選奨を受賞した笠井剛さんのお祝いに。笠井さんとは5年ぐらい前に埼玉詩人会の理事(なんていうとすごいけど、ま、運営委員)を一緒にやって以来のお付き合い。一回り以上年上だけど、私の生意気を受け止めてくれ、認めてくれ、定期的に酒を飲んでくれている。こんなタテの人間関係がうれしい。
二次会の、パーティーの席で、私も祝辞を述べた。笠井さんの詩についても次のようなことを言っちゃった。勝手な解釈をつけて。(  )内は、私の解釈、感想

  フォルム      (物への愛情→命あるもの//具象的             事実から抽象の高みへ)

ひとの手で作られた   
形を持つものたち
わたしを留めおく
机 椅子 卓上のコップ 
わたしに出発を促す
手帳 鞄 帽子
わたしが訣別の日を思う
扉 家 屋根の勾配・・*1   
置かれたままの位置で輪郭を閉じ・・*2          使われ 蔵われ 壊れていく
わたしの周りの物たち
   (1行あけ)
ひとは言葉を
形に仕上げることは出来ない
言葉は輪郭を持たないいのちだから
いのちはひとを裂いて流れる言葉だから・・*3
   (1行あけ)
愛し合うひとには
名付けて赤子をささげ持つ日があり
離別を嘆いて慰め合う日々がある
わたしの詩は
嘆きと喜びを載せてゆれる天秤の
その時どきの記憶でしかない・・*4
            
   (1行あけ)
今日 わたしは 
物たちとごたごたと居て・・*5 
こぼたれるのを待つ・・*6   
発熱したフォルムだ・・*7   

*1 屋根の勾配、いいねえ、なんとも             いえず、悲しみをたたえて
*2 輪郭を閉じる=いいなあ、この言             い方・物は脱皮できない、成長し             ない、/動かない
*3 不定形つまりもののようにフォル             ムを持たない言葉、しかし命その             ものである言葉に詩人は何を託す             のか。言葉にいのちをかける詩人             としての静かな決意
*4 「記憶そのものである」とはいわ             ない人柄
*5「ごたごたと」の妙
*6 こわされる
*7 自分もひとつのものとして在る

ものへのあたたかい視線、ものに支えられている自分、ものに同化する自分。

2004/8/4(WED)
詩集「ア」の反響の中で、何人かの方から「食べ物の詩が多い」との指摘があった。ふうん、そうだろな、さもありなん。どうも、食べ物が絡むと、うまく筆が伸びるんだよな。

今日は職場の同僚がもってきてくれた「ピーナッツ豆腐」をいただいた。自家製だという。う、うまい、でした。ピーナッツの香りが口のなかでほんのりふくらんで、とろりとして。あの、たれがまた、いいんだ。少し甘めの(彼女のふるさと、鹿児島の)しょうゆに梅をすったものを加えた、さっぱり味。作ってみたくて、レシピを書いてもらった。生の落花生を買わなきゃ。
我が家の晩飯は、「海鮮丼」。いつもの「カズン」で、ウニ、甘エビ、イクラ、ホタテに今日はキビナゴを加え、紫蘇とカイワレを散らして、いただきます!

2日連続食べ物話になってしまった。ま、いいか。

2004/8/3(TUE)
ほぼ毎日料理をしている。通常、朝6時半に起きて、朝飯と娘と自分の弁当のおかずを1、2品作る。夜は仕事場からまっすぐ帰る日は、途中で食べたいものを買って帰るものだから、自然自分で作る羽目になる。
いつからこうなったのだろう。
たぶん、家内が病気入院した4,5年位前からだろう。それまでも朝は低血圧の妻を寝かせておいて、おれが作っていたが、病気を機に夜も作れるときは作るようになった。
やってみると、料理はおもしろい。あれこれ材料を組み合わせて味付けを考え、自分なりの工夫を加える。掃除や選択はしたくないが料理は作ることだからおもしろい。どうせ毎日のように作るのだから、楽しもう。それで、料理は趣味の一つになった。
毎日作っていると、主婦のように、献立に悩むということも経験する。けれど、大好きなスーパー、「カズン」に行って、安くて新鮮な素材を眺めていると、つばが湧き、献立が立ち上がってくるから不思議だ。
ま、食い意地が張ってるんだね。
今日は「チンジャオロウスー」、青椒はピーマン、ロウは肉、スーは糸二つで細くという意味。おいしいといってくれたが肉の細く切ったやつに小麦粉をまぶして、油で炒めるときにくっついてしまい、うまくぱらぱらにほぐれない。
腕はまだまだだね。



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