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ぺこ日記


2005年2月

2005/2/24(thu)
こまったねえ

「ミツバチのささやき」を思い出しました。!!健康診断の結果、判定「E」。
焦って検査担当だった医師に連絡をとった。
一番問題の糖尿病は、もはや境界例とはいえない。
近隣の病院に行くようにと指示された。
今まで、父の食事療法を見てきたわたしは、絶望的な気持ちになった。
「甘いもの」は食べられない。
「お腹いっぱい」食べられない。
「お酒」が飲めない。もともと飲んでないけど。
規定のカロリー数までの食事しかできないが、それは医師と相談し、割り出す。

インスリンの注射かもしれない。なにより「肥満(でぶ)」を治す。
この肥満は、二種類の薬の副作用でなった。
ホルモン剤、そしてステロイド剤。
かなわんなー。副作用で糖尿病もある薬だったし。
まあ、インシュリンの注射は覚悟すべきことらしい。
中年で健康をキープするのは、難しいノダ。



わたしがタイに行っている間のわが植物の管理を、母も弟もやってくれないということになった。『大丈夫だから、行ってきて』といわれると思っていた。その前に弟をたすけたからだ。
弟は新しかったわたしの部屋に住み、父が立てた家にいる。が、彼の家族はこない。そして彼の子供に一部屋つづあったたいという。「なにさま?」
そして、タイには来るという。
わたしは、抑圧されている。弟に植木を買ったことを言われる筋合いは無い。とにかく忙しくて協力できないのなら。考えるとか。協力的でない。優しくないと思って一日ねています。

2005/2/23(wed)
春一番の風はヤスガースファームに君を連れていく

好きな椿友人の教頭先生から、久しぶりに電話がきた。復職の準備で、通勤などしていたのは知っていた。
しかし電話は「退職した。」旨を告げる内容だった。
「余力を残して退職したい。」ということだった。
今時の子供が「恐い」のは、よくわかる。荒れた子達は、かれの車や同僚の車を傷つけ、保険ではまかないきれずみんなで積み立てをしていたこともあった。
「学校が恐かった」さもありなん。


結局、わたしたちは、例の安いカラオケ屋で待ち合わせをした。
入店したら、ミニスカートの学生がいた。彼女らのスカートはあまりに短く、階段を上がる時に、はっきり下着が見えた。


彼は手紙をわたしにくれた。感謝状だった。
「自殺病」と本人は言っていたが、「うつ病」だった。駅のホームで夜中まで飛び込もうとウロウロしたり、車で遠くまで行って首を吊ろうとした。
そのロープは今でも家にある。
病院のスタッフも、聞けばなかなかだったかも知れない。


とにかく、彼は降りたのだった。
教員であらねばならなかったところから、降りた。
自分を過大にも過小にも思わない、思われない位置まで降りようと決心したのだ。「人生は教員生活より長い。」から。

彼がこだわっていた生活を、すっきり清算できそうな気がしたこと。それはとても大切な、人生の契機だと思う。
カラオケでおどけていた、彼の笑顔は、意外ににすっきりしていた。

多分、タイに行く前に渡したかった手紙だ。

2005/2/20(sun)
残すは沙羅双樹

朝のバンコック市内。ホテルからの写真です。もっと下の方では、けたたましく車が走っています。サワデカー(タイ語のおはよう、こんにちはの意。男性はサワデーカップです。)昨日は持ってる自分の写真を出してしまって、「後悔あとをたたず。」です。バンコックでは、なぜかとても早起きでした。ホテルのロケーションが良くて、屋台がいっぱいでるところで、地下はマーケット、5分も歩けば海鮮レストランがありました。

でも、タイ料理は一回だけ。食事は大抵、マックとかホテルのレストランとかでとりました。機内食もあったし・・・。


不動産屋はアパマン館。現地法人の日本人が候補地をあげておいてくれ、結局まる一日案内されたのすが、どこもみんな立派で混乱してしまいました。贅沢なマンションなのですが、いずこも「アパート」といいます。200�屐�300�屬任癲▲▲僉璽箸任后L臠屬�いてもアパート。シンプルでしょう?


バンコックのスクーン・ビット地区は、特に日本人が多いそうです。わたしはここに住むことになります。お礼を言って「美味しいトコロ」を聞いて、検討する。もちろん、アパートです。1度ホテルに帰って、紅茶の飲めるラウンジへ。

そこで、PCを借りました。ビジネスルームは有料ですから、得しちゃったわけです。


トワイニングを飲んで、もう一回お出かけお土産を買いに。

バンコックの道は、ぐちゃぐちゃです。歩道橋は殆どないばかりか、横断歩道もないくらいです。

そして信号で止まると、バイクがいっぱい車の前に出ます。これはタクシーになっているそうです。

結局、少しお土産を買って近くの公園で、わたしは木を見ながら散歩をしたのです。そこはジョギングをやってる人が多い公園でした。現地は5時、6時でも明るいのです。そして6時になった時、放送と音楽が鳴りました。まだふらふら歩いていたわたしが、ふっ、と気付くとみんな立ち止まり同じ方向を向いています。

王制の国だぁ。驚きました。象のお尻です。よく言われることのようですが、タイの人はお行儀がいい。そして笑顔がきれいです。辻には祠のようなものがあって、花や食べ物を奉げていますがそれはそれは自然なのです。


木を見に行ったのには、理由があります。仏教三大聖木というのを、知りたかったのです。日本で一種(インド菩提樹)は植物園で見つけましたが、残りの沙羅双樹、無憂木は、手がかりもない。日本語変換が無いので、検索は出来ない。大きな雑多な、木があるタイ。
今は、二種類になりました。残すは沙羅双樹です。

セナは。

セナが毎日、父と通った公園に、今は弟と行って散歩をしています。

2005/2/19(sat)
ただいま〜〜。

わたしは、デブです。だから写真には耐えられないのですが、今回はちょっとだけなのよー。椰子の実を飲んでいるところ。オオオニバス、象に餌をやっているところ。タイのマーライオンです。昨夜帰りましたが、ずーーーーっと眠っていました。

わたしを待っていたのは、セナ、母・弟などです。

母には、ランの花束(検疫はOKのもの)バッグ、チョコなどですが、まあ物価が安いので安物です。

でも欄の花は余程嬉しかったらしく、母は涙をながして仏壇にたむけました。

セナはぐるぐるまわりを、何回もして悲痛な声をあげましたが、母は家へ連れて帰ることを許してくれませんでした。鳥の次郎吉もです。


そしてポストでわたしを待っていたのは、健康診断の結果でした。

とにかく、成人病予備軍で要精検でした。ひっかかったのは糖とタンパク。o(;△;)o
初めて、ひっかかりました。こんなことは初めてです。半年前はOKだったのに。また、病院にいかねば。


さて、タイはとてもいい国でした。

人々がすれていない。笑顔の多い国でした。行った時は34度で、これからどんどん温度があがり40度くらいは、軽く行くようです。

明るい仏教国です。バイクのタクシーや三輪車。花売りや、屋台での魚、カエルを売るおばちゃんがカメラを向けても、頷いてくれ、写真を撮らせてくれます。

治安もよく、若い人が多いので活気があります。

でも、タイでの車の運転は絶対にしてはいけません。横断歩道も少ないし、横断橋もない、道はぼこぼこでそれぞれの車が思い思いに動くのです。


また寝ます。おやすみなさい。

追伸。

帰りの飛行機で、30代くらいの男性と話をしました。
彼の帰国理由は、体をこわしたこと。
タイの人々はのんびり仕事をするので、いらいらが募って体を壊したのだそうです。・・・・むぅ。

2005/2/15(tue)
ああ、やだやだ・・・・。

v(ё)vv(ё)vいぇいーa。




行ってきまーす。

2005/2/14(mon)
話はいつも飛ぶんです。

かなり復調。v(ё)vv(ё)vいぇーぃ。レナータ・テバルディが、暮れに亡くなったと報じられた。12月19日である。マリア・カラスと、人気を二分していた歌手だと言われているが、わたしには世間はカラスに味方しているように思える」。
昨日にちょっと繋がる話だが、ある時TVドラマを見ていて「お!」と思ったドラマがあった。音楽は小林亜星なので、ひょっとしてとこれがテバルティかなと思ったのでTV局に問い合わせた。
今のTVドラマは、製作会社に頼んでいる。電話の向こうのおじさんは警備の人かしら?と思うような対応だった。木で鼻をくくるというやつだ。訛りもあったので余計そんな気がした。
明日、連絡するというので待っていたら、電話で件のおじさんが「レナータ・テバXO△★?」と言った。「腰の据わった声」は、やっぱりそうだった。
わたしはわが意を確信したのだった。


話が飛ぶが、今日は父の三回目の月命日。わたしは明日はタイに行く。



どうしよう?


2005/2/13(sun)
動物惨禍

。動物病院に通う。セナは食欲が出てきたから、点滴をコンスタントにやればいいし、薬を飲むことと腎臓病用の缶詰を食べさせることで以前と変らない状態になった。

薬は、一種類は活性炭これに体内の悪いものを吸着させる。

もう一個は体内が活性化するような薬らしい。粉はいいが、錠剤は戦いになる。だから錠剤を砕く。敵は警戒心のかたまりになる。(笑)


動物病院は評判が悪いが、繁盛している。

いろんな動物を見る。フェレット、ハムスター、うさぎ、セントバーナードやポインター、ラブラドール、チワワ、キャバリア、ほか猫のような小さい犬たち。もちろん猫も。

わたしは子供の病気のようにすぐ悪くなって、治療をするとすぐ治っちゃうような病気の犬ばかりだと思っていたのに、先週あたりから「あら?」と思うような犬たちに会うようになった。

足がや股関節がおかしい犬たちだ。今日、生後4ヶ月のゴールデンの飼い主と話して、びっくりした。血統書のある犬が過剰に生産され、それが近親婚なので障害のある犬がいっぱい売られているらしいのだ。

そのゴールデンはちゃんと座れなかった。ちょっと腰が抜けたようになっている。飼い主は、飼う時に見分けられない。なにしろ赤ちゃんなのだから。

そして評判の悪い病院は、金持ちが来ているように思える。


以前、わたしが働いていた図書館にベンツで来て不法駐車する、あっけらかんとした印象の利用者がいた。

ある日、イグアナの飼育の仕方を書いた本が欲しいという。

「どうしたんですか?」お客さんの好みの本のスジは、結構頭に入っていて、およそイグアナではない人だ。

「イグアナを拾っちゃったのよ」「!」交番に届けたら、「落とし主が見つかるまで、暫く飼っていて下さい。」と言われたのだそうだ。


彼女はいきなり、イグアナの飼い主になった。こういうことが、いつあってもおかしくないのが『今』のようなのです。

CM礼賛

クリスマス・ローズの妖精。先日来たジャニス・ジョプリンのDVDをかけた途端、もう一回眠りたくなった。DVDは海賊版風で、みんな英語。音は悪い映像も「なんだ、これ?」もんだった。

昨夜はフォークソングの特集を見てしまったし、この人たちみんな還暦ね・・・と思ったら「・・・・」だった。

TVを切ってもう一回布団をかぶったら「♪ワタナベのジュースの素です、もう一杯♪」という歌詞が浮かんだ。粉のジュースは画期的で、今でも味がよかったらわたしは買うだろう。

なにしろペット・ボトルは重い。


ところで昔のCMソングは、かなり優れていたとわたしは思っている。

「氷のお山ですまし顔♪」「♪雨が降ってる日曜日〜。坊やどろんこ何故泣くの〜」サンスター歯磨き、明星即席ラーメンなど、頭にしっかり入っているが、ずーっと思い出せないのが「オリエンタル・カレー」だ。

「オリエンタルの窓を開けば、香るカレーよ、夢の味♪」そんな歌詞だった。これを、言うとみんな知らないのだ。

家は母が結構歌が好きだったから、それを聞いていたのかも知れない。

そういえば、「リボンちゃん、リボンジュースよ」というアニメや、差別問題で消えてしまった○ルピスの商標、ニッカの洒落た画やサ○トリーのおじさん。

みんな好感が持てた。すさんでいないのだ。レナウ○娘の「♪ドライブウェイに夏がくりゃ、イェイェイイェイ〜イェイ♪」なんかは立派なポップスだとさえ思う。
白子さんと黒子さんってのもいたぞ・・・・。CMの底力は、あの時代のほうが上かも知れない。きっとその頃は、みんなが小津なんかを見たりしていたのだ。
カラオケでそういうのが入っていないのは、著作権の問題なのかなぁ。

しまった!

上の文章は土、日分です。もう!

2005/2/10(thu)
忙しいノダ。

いろいろあって、もう書けない。
とにかく昨日から、セナが復調してきた。それが嬉しい。

捕まった2もあります。でも今回は写真だけ。

植木の楽しみ方が違うのでしょうか?頓挫しましたが日本の「庭」はかなり優れているそうです。立派な庭園でなくてもです。

2005/2/11(fri)
とうとう捕まった!


昨年見つけた椿がある。
それはすごく見つけにくいところ。
私道からしか見えない。
私道は大きい家のもので、車のわだちの場所を除いていつも花がある。一本一本違う花で、ワスレナグサ、デイジー、クモマソウ、サクラソウ、ジュリアン、ストックそんなのがばらばらに四季を通して植えられていて、種も採取しているからなかなかの「みどりのゆび」の持ち主なのだ。
ここの奥さんには、写真を撮りに行って「怪しいものではありません」と言い訳をした。すると笑って許してくれたのだ。
そこから斜め前の家にその椿はある。だからその私道から写そうと思っていた。
先週、一個、二個と開花してきた「玉の浦」に違いない。
だが、花弁が痛んで醜い。望遠でも駄目だ。
ついに三日目に私道の隣にある、ガレージを抜けてシャッターを押した。不法侵入。
カメラもあるし、セコムに捕まっちゃうかなーと一瞬は思ったのだが・・・・・。
二回シャッターを押して門のところで捕まった。
「何してるの?」
「あ、あの椿の写真」
「ああ、お隣のね」


許してくれた。イギリスではすごい量の監視カメラがあるそうだ。

そしてわたしのようなカメラ好き。

ケイタイでも監視カメラでもすごい社会だなー。監視ばっかり。みんなでケイタイ向けられたらビビるなー。


夕方、友人が来て「象の大群」の話をしていたら怖くなった。
群れを作るというのは、社会を構成できるわけで頭がいいんだろうななんて話をしつつ、象に乗るのは大変だと思った。
ついでに馬の鐙はかなり遅く出来たそうで、それで生産力が画期的に上がったなんて話を聞いた。

2005/2/9(wed)
15日発、18日着とりあえずの予定。

青い花束。午前中はパスポートを、とりに行きました。旅券事務所は「そごう」にあります。

わたし達はそごうでは、食料品くらいしか買いません。高いからです。

わたしが最後にここで買ったのは、27000円のバッグでした。閉店間際だったのに、店員さんが一生懸命で「こういうバッグだって買うの大変ですよね」と言いました。「あれ?」いつもと違うなと、思ってから、暫くして破綻、産業再生機構で再建となりました。

件の店員さんも、覚悟をしていたのかもしれません。母などは関西資本は嫌だ、といっていましたが要するに高いのです。

とにかく、これで15日には間に合います。住居を決めて18日帰国です。(大体の労働者の月収 20000バーツ=約75000円)のタイでは(笑)アパート代で、プールつきの部屋が借りられるそうです。実感はもとよりありません。


午後はセナの通院。腎臓がまた悪くなっていました。点滴とお薬と。三日に一回の定期通院。そして明日はわたしの通院です。
通院先をタイの病院に代えるのです。
急に日程が迫って来ました。
たくさんの椿の蕾を前にして、やや不安なぺこです。


冬椿世をしのぶとにあらねども   
                久保田万太郎

続いている日々

セナの写真を入れます。


間違っちゃった。

2005/2/7(mon)
成人病入門。

昨夜TVで国立駅前の「寒桜」が、今年で50年の命を閉じることになったという報道がありました。朝から検診。恐怖のバリウム。バリウムは無事だったが、高血圧だった。180−100hg、なんてこった!
両親が高血圧だったので注意をしていても、やはりいい加減な生活。塩分は多くとってはいないから、犬の散歩のときに飲む、スポーツドリンクがいけないのかも知れない。しかし、こんなに高くてよく平気だ。

高血圧は目が回るものだと思っていたけど。

そろそろ治療を考えて、まずは血圧計を買いなさいと言われてしまった。

ときどき人生を卒業したくなるから、まぁいいか?

いいわけないだろ!


ラーメンを食べ、さっさと帰るとセナだ!今日は通院しなくていいのだが、薬はやらなくてはいけない。この知恵比べ!おお、マイゴッド!父の点滴はできても、セナに薬は三勝一敗くらいなのだ。

セナの歯が抜けているところから薬を押し込んで、口を押さえる。そしてすかさずビーフジャーキー。

これで一勝。

が、二度目には騙されない。

今日は口に入れては出しをくり返し、口の中で溶けるまで口を押さえてねばった。そういう時の目は、以前の目より「恐怖感」に近い感じだ。

それに痩せたからか、童顔ではなくなったように見える。

今日になって古いドッグフードひとつまみと、腎障害用ドッグフード数粒を入れ、納豆を混ぜて少しだけ食べた。院長が不味いと言った餌だ。院長が食べたとは思えないが、動物はすぐ死ぬとくり返し言ったイヤな医者だ。退院をめぐるどさくさで、若い女医さんになった。
ギモンは蛋白ばっかで、腎臓に悪いんじゃないかってこと。当面は好きなものを与えるしかないけど。


すごい勢いで縁石で転ぶ夜の散歩が終わったから、最近とりついている椿の本を見る。カタログ三昧が楽しい。

ところでBSで、かの「マラソン侍」をやるらしい。

2005/2/6(sun)
セナは特異の左回りをした。

二度目の前庭障害。三半規管などの水平感覚が狂ったりするそうです。朝、セナはやはり早起きだった。リードを見せるとすごく尻尾を振った。外に出たいのだ。相変わらず、顔は斜め(斜頸)で、ハイヒールを始めて履いたときのような千鳥足だ。

昨日までは、それに酔っているかのように、再三吐きそうになっていた。だが、今のセナは、よろよろしながら散歩を要求する。怯えて吼える犬でも、耳のたれた悄然としたセナではない。


入院前に行ったコースをゆっくり、恐る恐る歩きトイレをしたのが成果だった。この意外な生命力は、治るという確信をわたしにもたらした。


午後にまたタクシー会社に、問い合わせをした。タオルで抑えていればいい、と言うことだった。不機嫌そうな運転手だった。

病院の待合室はいっぱいだった。小さい犬が多かったが、それは大きい犬は車の中で待っていたからだった。
セナは、待合室では騒ぐだろう。外で待っていたが、順番になるにつれ中に入った。気がたかぶって、何度か吼えた。皮下注射はかなりの速さでやる。どうも後が痛いらしく、昨夜はそこに触ったのか、初めて咬まれた。(言っておくがセナは人間より咬まないというか、まったく咬まない)

大分待ったが、点滴はすぐだった。

待合室にいた時から、セナは初めての食欲を見せていた。わたしが隠しているだろうと、手やバッグのにおいを嗅いでいた。


会計後、わたしが目指したのはコンビニだった。プレドニンでも、お腹が空いているのかもしれない。
パンを買って二人で分けた。
分けながら二人で歩いた。
セナはひょこひょこ歩き、パンを貰えそうだと特異の左回りをした。

2005/2/5(sat)
毎日の点滴でよくなりますよ。

りんごの花起きたらセナは、失禁をしていた。散歩に行けないのだから仕方あるまい。

わたしは昨日母と弟の所へ、何度か電話をした。悲観的な電話。それを受けて母のもとへセナを戻し、最後をみんなで看取ろうという話が出ていた。

よたよたと動いているセナの前途を思うと、そういう考えも理解できた。しかし同意の決断ができなかった。


セナを抱いて医者に行こう。

これは賭けのようなものだった。タクシー会社に犬を乗せてもいいタクシーを頼んだ。それは絶対にできないと、再三言われたたあとだったので、会社に問い合わせたのだ。折り返しの電話でOKとなった時は小躍りした。

しかし、アウシュビッツにまた戻すなんてことは絶対しない。外来治療は15分から40分と確認して、タクシーに乗り込んだ。治療は点滴、プレドニンなど。


今回は女医さんだった。「毎日の点滴でよくなりますよ。後遺症は少し残るかもしれませんが・・・3日、5日、7日と。」

信じがたかった。前の、嬉しいとぐるぐる回りのセナにもどる・・・・・


帰りの車のなかで、セナは窓をあけると気持ちよさそうだった。もう、吼えない犬になっていた。「食べるものならなんでも・・・」と言われたのでビーフジャーキーとオムツと鳥のササミを買った。


帰ってきてからのセナは、時間がたつごとに良くなってきた。プレドニンだと思った。少しずつ食べ始め、歩こうとする。外に抱き上げてだすと、喜び痩せたセナのしっぽが振れる。

2005/2/4(fri)
セナの帰還

セナはカサベテスに似ています。セナは退院した。

風邪をひいてる弟の車で帰ってきた。
点滴三日で6万円余。オペでもしたら、大変な額になるだろう。

セナは抱えられて車に乗せられた。耳はたれ尻尾もたれ、わたしたちの、顔を判別するにも時間が必要だった。腎不全は画期的に良くなったのだそうだ。


だが帰ってきたセナに驚いた。部屋に入ったら吼えっぱなし。そして歩けないノダ。前庭障害(一昨年なった病気)が、再発しているようだ。医師もそういう警告は発した。それは三日に一回の外来で、フォローできる範囲だと言ったはずだ。

しかし、帰ったら、やっと水を飲むくらいで、歩けず(医師は散歩には連れて行ってくださいと言った。)好きだったものも食べず。入院時よりひどくなっているというのは、どういうわけだ。

セナの足は点滴と狭い籠で、硬縮しかけていた。前庭障害は、三半規管の病気で平衡感覚を失う。顔は斜めになって、酔ったような状態になり体が据わらない。


散々ためしたあげく、退院した三時間後、わたしは医師に電話をした。状況を説明したら医師は「再入院」だといった。「退院して三時間でですか!」わたしは絶句した。セナは痩せ失禁もした。入院がいけなかった。アウシュビッツのようだったのかもしれないと思った。腎臓のための餌も薬も食べようもないのに、どうしてあたえられていたのか。この痩せ方。どうしても入院なんてさせたくない。そういう気持ちで一緒に寝た。最悪の気分だった。

2005/2/3(thu)
マゼラン海峡で

「ウォーショースキーのように(サラ・パレツキーの小説の主人公)歩いて帰ってきた。」


この文言に刺激を受けた方がいるようですが、くれぐれも誤解のないように。共通点は今のところ「貧乏臭い」「靴が寿命なのに買い替えで葛藤する」くらいです。わはっ。


今日は、健康診断の日にちを決め、例によりぼうっとしていて、これではいけないと風呂を沸かし、またぼうっとして入らず。

でも動物病院に電話をしたら、犬の検査結果が順調で明日退院できるかも知れないと言われ、とたんに寒いから一日家にいようなんて思っていたのに、どっとアドレナリンが供給されたみたいに、咲きかけていた寒桜を見に行くことにしました。

今日は飛行機雲を三回も見るほど晴れていました。


で、本日一番の「嬉しかったこと」は犬の退院(情けないかな?)ですが、次には燐造さんのご子息がマゼラン海峡で写した写真の植物が、同定できたかも知れないのです。HPをご覧ください。こういうことってシミジミ嬉しいんですよねー。

追伸

椿写真を忘れました。ネットで知り合った生物学の先生が、25年もスイバの研究をなさっていると聞きました。なぜか、それを知って嬉しくなりました。なぜだろう?

2005/2/2(wed)
いろいろあるよね。人生は。

ゴイサギ
去年は、「夜と霧」で有名なフランクルの本「それでも人生にイエスという」を読み、翻訳が悪いとがたがた言ったわたしです。
今日になって、わたしが取っているミニコミ紙に、尊敬する精神科の先生が、年頭にその本の話をするはずだったということを知りました。
現在、その尊敬する先生は、脳内出血で倒れ入院をしておられます。
今年がアウシュビッツ解放60年式典ということは、ニュースを見て、気がついたのですが、その年に日本が「軍隊」を持とうとしているのは皮肉なことです。

世代が大きく代わろうとしているのを感じます。


今季最大の寒波が、来ている。出かけるのが辛い。

セナが入院しているので別に出かけなくたっていいのだが、ずーっと家にいると後悔しそうなのだ。連絡をすると、セナはいくらか好転しつつあるようだ。母と弟に報告をしたら、ふんぎりがついてカメラを持った。

椿は「準備中」だし、ならばゴイサギの動いている写真を撮ろう。粘ってみよう。そういう覚悟で川のそばに行った。


二羽のゴイサギはちゃんといた。寒さなどものともしないで、一羽は動きそうだ。下を見て欲しい。
http://www.haizara.net/~kirita/doga/goisagi2.mov
やった。ほくほくだ。
帰り道に近所の奥さんが散歩しているのに出合った。「犬はどうしたの?」「○○病院?あそこは高いわよ。うちの犬だって17万かかったんだから」
「・・・・」ひたすら入院費の心配をしながら、帰ってきたわたしであった。

2005/2/1(tue)
2月のココロ

これはトサミズキの種です。
衛星でエノケンが出ていると思ったら、フランキー堺の「猿飛佐助」だった。途中からなので録画はしなかったが、すごいメンバーだった。生まれる前の映画だけれど、フランキー堺という人はやはり天才なのだろう。こんな映画、また10年くらいは放映しないだろう。

見ているうちに、子供の頃「真田幸村ごっこ」と称して弟とちゃんばらをやった記憶に突き当たった。

わたしは、真田十勇士の名前も知らないのに、何故だろう?真田幸村は流行っていたのだろうか?

映画が終わると、ぼうっとして、思い出したように気になっていた本を読もうとした。「丹生都比売」(におつひめ)。もう5ヶ月も置いてある。最近は椿の本ばかり見ているから、文字は煩わしい。結局、煩わしいとまた棚に戻した。


そして母に電話。

母はこの2週間喘息発作を起こしている。基礎体力が落ちるとなかなか治らない。この寒さも乾燥も問題だ。「今日は寒いから、出かけない方がいいよ」「うん」と言って電話を切る。同病者だから。

次は弟に電話。「ごめんね。セナを入院させて」「年だからね。」みんなセナを心配しているが、わたしのことを責めるわけではない。でもセナは弟が買った犬なのだ。


カメラを持って外出する。犬と毎日過ごした辻々の記憶。

わたしは電話で、見舞いが出来るかを問い合わせ、車をとめて行き先を告げ乗りこんだ。夜中に点滴をはずしたので、BUN(尿素窒素?)の数値を下げる薬の効果はなかった。「退院し自宅で薬と食事で管理できるまでには、もう少し入院させましょう。治る病気じゃないから、死病だから大変ですよ。」と、院長は言った。

点滴をし、ケージに入っているセナは泣いているように見えた。撫でると興奮し、ぐるぐるまわりを始めた。ぐるぐるまわるのは嬉しい時、吼える時は、何かを要求する時なのだ。セナは吼えた吼えながら興奮していく。

院長は「言いにくいが、こんなに興奮してはこまる。見舞いはひかえてください。」と言った。
わたしはたった5分だが会えた。セナは歩けていた。それだけで充分だった。帰りは歩いた。
不便なところなのだけれど、ウォーショースキーのように。(サラ・パレツキーの小説の主人公)歩いて帰ってきた。
今日の寒さはシカゴくらいかな?。



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