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ぺこ日記


2004年8月

2004/8/31(tue)
昨日一昨日と日付が混乱していました。

混乱は、読む方が直してくださいませ。m(u_u)m

台風通過のせいで、調子が悪いです。
で、うとうと寝てばかりいます。
起きると、ささやくボサノバでまた寝入る。「しょーがねーなー」電話してきた弟がいう。


しばらく見なかったのだけど、また今日は夢を見ました。
キムタクに寿司をおごる夢です。楽屋でなんか失敗してお詫びにおごった・・・・・。アタシの頭は!

2004/8/30(mon)
またまた、ごめんなさい。

「鮎は海から遡上するのか?」
でした。

文化の日みたい。☆

昨日は、父と競馬をやって、そのあと映画にいった。話題の「華氏911」だ。話題のってことになると、すぐ調子にのってケチをつける輩がいるが、まず見ないではケチのつけようもない。見終わってわたしは、「いいんじゃないのーっ」て思った。だってさ、真っ先にブッシュにケチをつけたいんだもんね。
音楽がニール・ヤングとかテン・イヤーズ・アフター。マドンナ絶賛とか70年代の精神が、まだあるのだとか思いました。

疲れて帰ってきたら、アシュケナージのコンサートをNHKでやっていて、わ、若い。終わったと思ったら、蜷川オイデプスだった。もう、つらいよー。こういう時、TVのスイッチを切るのはちょっと惜しくなって、結局、ボーヨーとして見た。ビデオがないTVでした。


リシャの夜の円形劇場でやっていた蜷川は、きっと夢のような舞台だったろう。

2004/8/29(sun)
父の新しい椅子

筋力が衰えないように、リクライニングの椅子から、しっかり背もたせのある椅子に父の椅子をかえた。
母は最初は気に入らない風だったが、父がまず、気に入ってくれた。ほっ。
台風が来そうなので、母は弟と買い物。
父は大分顔色がよくなった。留守番をしながら昔話を父としていた。言葉がまた少し、はっきりしないのは、先日倒れたのが「脳梗塞」であったということだと思う。



父の昔の千葉の話。市街地のどぶ川で鮎がとれたということ。鮎は川から遡上するのかな?
疲れて、眠い。蜷川オイデプス見たいのに。

2004/8/27(fri)
父の「血煙高田馬場」

今日は、マジシャンの友人から電話が来た。
父を相手に酒を飲んだ友人は、何人かいるが最後に彼が来た時は、父が一番はしゃいでいたように見えた。



その時は友人は、結婚の報告にきたのだ。若いかわいらしいお嫁さんだった。
父のもとへ若い女性がくるわけもないから、余計喜んだのかもしれない。


その日、わたしは初めて、父が「血煙高田馬場」の長いセリフを語るのを聞いた。「三波春夫より長いっ!」ってそれぞれが驚いたが、一番驚いたのはわたしだった。
セリフは浪々と淀みなく堀部安兵衛は、ひた走り、その道は今と変わらないのであった。
1937年の蕃妻扮する堀部安兵衛の、映画を見たとは思わなかったが、もし、見ていたとしたら彼の青春時代だ。しかし映画のセリフを覚えられるわけがない。
父に聞くと友人が本を持っていて、それを借りたのだそうだ。
父はそれを覚えていたので、軍隊で「慰問」をやらされた。2000人もいるところでやった時は、さすがに足が震えたそうだ。
父は確かにそういうところがある。




ところで彼の子供は電話などの対応では、なかなか健やかに賢く育っているようだ。
そして最近は、親子でスーパー銭湯に行き、最近は合間に演じられる寸劇に興味があるらしい。
そういうことがあって友人は、父の「血煙高田馬場」を思い出した。


「で、お父さん、どうなの?」
「人間には常に一抹の希望があってね」とわたしは言った。
あれから父はタバコも酒もやめて、愛犬を頼りに生きているような毎日だ。
周囲のものは、ほとんど彼の食欲しか感心がない。食べないと母は、泣くほど悲しいという。
堀部安兵衛になる、ひょうきんさを父に戻して欲しいと娘は思っています。

ああ、変な文。

乱文でした。まあ、いつものことで。

2004/8/26(thu)
怒っていること。ムラサキツリフネのこと

富山大学の生物研究室にムラサキカタバミと、いもカタバミの採取の協力をしていることは、以前書いたと思う。
それが父の病気によりできなくなった。
誰も面識もない人にいきなりお願いして、やってくれる、なんて行為は普通は期待しないだろう。
それで「ありがとう」という気持ちの代償としてと、ツリフネソウの種が欲しい旨・・・伝えておいたら、今日はこういう返事がきた。

「ムラサキツリフネソウですが、県内に分布していない、または国立公園内のみに生息していますので、植物体及び種子の採取は不可能です。ご了承ください。」

唖然とした。新潟から送ってもらって失敗した、黒石では水害に流れた、富山に分布してない・・・・がぉ!「国立公園内のみに生息しています。」こんな大嘘を学生が平然と書いてくる。わたしは学生には甘いが、やる気のない奴と付き合うほどヒマじゃない。
(親の顔を見たい、なんてはじめてのセリフ吐いちゃうね。)
大人は真剣に生きてるんだよ。人生なめたらいかんのだ!
ちょっとした山地に行けばムラサキツリフネはある。
こういう奴は採用しないでと、パパに言っておこう。(爆)


富山大の生物研究室を語る・・・学生。

富山大の生物研究室を語る・・・在籍中のでした。学生。

2004/8/25(wed)
癌病棟の間違いです。

眼病等→癌病棟

眠っている父

一昨日、父は最後転んで、イヌの散歩は誰かがつくか、父にはさないことにする。
父は糖尿病の食事制限が、なんとしてでもあって甘いものはなかなか口にしない。
食事がすすまないので、ヴィダインゼリーを使う。
転んだのは、多発性脳梗塞の再発だと思う。



昨日の通院で疲れて、父はいまぐっすり寝ている。
イヌはずっと寂しがっている。縁側沿いを往復して、甘ったれた声をだす。母はとても、緊張していたが病院に付き添うと、(三人のなかで一番血圧が高いのはわたしであった!)いくらか落ち着いて状況説明などができる。
抗がん剤を服用中に、食欲を出させるのはとても大変だが、父は抗がん剤も使っていないので、何かあるはずだ。わたしの修行がたりず、みっつくいしか、浮かばない。
呼吸器科では出せない薬・・・・。


取り合えずでた痛み止めで、どれだけ効くのか。
修羅場に近づいて行く気がする。わたしは病院で、父の背中を見ながら、父を呼んでいる「行っちゃいやだ!」。


真綿のうすがけを、買ってあげた。

ダイエット顛末記




サキイカ・ダイエットという妙なことを思いついたので、今でもサキイカが家にはある。
先日は午前中が歯医者の予約だったのに、出かける前にサキイカを食べた。それが歯につまって取れなくなってしまった。慌てて、歯間ブラシを使うと、どんどん奥に行く。
やむなく、歯科医のもとへは、そのまま行って「イカが取れなくて」と言った。すごーく恥ずかしかった。歯科医は、「それはいいですよー」と言ってくれたので、ほっとしたら「でも、ここが磨けてない。」と言った。
イカなどを挟んだまま通院する人は、かなり少ないだろうと思う。



その後の通院で歯科の椅子に座って、ほとんど上向きで治療中の時にへんな音を聞いた。「あれ?・・・・あれ?」患者の耳は歯科医のお腹のあたりだ。
あ、お腹が空いていたんだ。そして治療中に三度もなった。
本当にこんなことがあると、仲良くなれそうな気がするのだけれど・・・・。

2004/8/24(tue)
医者に提言をいくつか

検査は行わず。
痛み止めを頓服で。
食欲を出すのはドグマチール、プレドニン(笑)六君子湯と条件を提出していて、先方の頭の中にはまったくないようで調べていた。経験にない薬は使えない。現に使ってる眼病等はあるのに
家族は可能性が一パーセンとでも、、お父さんを生きさせたい。自分がうまれた時のように、大事にしたい。

2004/8/23(mon)
父が歩けなくなった。

明日、病院に行きます。
悪くなければいいけど。

2004/8/21(sat)
親と一緒に食事をしないので、

親と一緒に食事をしないので、母の話し以外気にもとめていなかったが、父の食がすごく減っている。胸が痛く傷が痛いという。胸が痛いというのは樹脂を入れたからだろうし、傷は仕方がない。それを母が気にして、あれを食べろ、これを食べろというので、父は母に感謝をして、思いつめてしまう。
とても古い話だが竹内好の癌の時も、家族は告知しなかった。高橋和巳の時もそうだった気がする。
癌の告知が普通になったのは、この20年くらいか。

年齢と胆力から言って、告知はしないと決めたのだが本人は気がついてきてる気がする。
最近、気にいっている「くずきり」をおやつにと、一緒に食べながら、食べきれないで俯く父を見て切ない。

2004/8/20(fri)
ご汁の話

昨日は引きこもって、大嫌いな「みのもんた」のアレを見ていました。
昨日はツェッペリン号が日本に来た日なのだそうです。とても人気で女性は、ツェッペリン髷までしたそうです。(爆)
前に書いた二百三高地のはなしで、髪型もあると書いたら「どんな、頭だ」と聞かれ、ごく高い頭だとしか答えられなかった。
ツェッペリン髷も見たけれど、なんと言ったらいいのか・・・・。
でも、こういうのが流行るのが不思議です。例えば万博の時に(古)太陽の塔髷とか・・・今だとオリンピックヘアー、という感じなんだろうけど、ヘアースタアイルもなかなかに政治だということがあるんだね。侍頭なんかもそうだったんだろう。

ところで、富山にいる友人だが、学校を卒業後しばらくして結婚をしようということになって、彼女の九州の実家に挨拶に行った。なかなかな名家であったらしい。そこでは、90歳のおばあちゃんが、大変喜んでくれた。そして作ってくれたのが「ごじる」だった。
彼は「ごじる」を飲んだ。・・・・吐かずに飲んだ。いいばあちゃんと、ごじるは余程苦い体験になったようだ。


「ごじる」の味は、余程彼の脳髄に響いたらしく「ごじる」の話は何度も聞いた。
どうやら、ごじるは大豆でできたものらしい。大豆ポタージュのような、ものではないか。



大嫌いな、みのもんたを見ていたのは、ごじるのせいでした。
その番組では、健康食として、地方の料理を紹介しています。そこへレストランでしか食事をしたことがないような、若いレポーターが行くのですね。
そして、その地方料理を長寿の秘密みたいに伝える。
そして昨日は、期待していた「ごじる」に似ていたので、つい見てしまった。
でも、実際は全然違うとうきび料理でした。
乾燥したとうもろこしを煮たのです。


レポーターは、「なんともほのかな甘みがします」
・・・どんぶりの具を見て
そこのはなんですか?」お嬢さんが(大きい声で)いのししです!!!



ご汁の話・・・追記

ゴジルは呉の時代に、日本にわたってきた豆腐だというかなり面白い話いろいろのようです。続編になるかなー。

2004/8/6(fri)
ヒロシマ

わたしが初めて、原爆祈念式典を見たのは去年だった。働いていると黙祷くらいはしても式は見られない。そしてヒロシマ市長の言葉を聴いて、あらためて身につまされたのだった。


「森田実の時代を斬る」より転載

2004.8.5
Q君への手紙(PART3[18])
原爆許すまじ−ノーモアヒロシマ・ノーモアナガサキ
「私はいつも心配するのですが、人間は最後に何か秘密を発見してずっと手軽に人間を殺し、人民や国民全体を滅ぼしてしまうのではないでしょうか」(モンテスキュー『法の精神』の著者、1689−1755)

Q君。今日は少し長い手紙を書きます。寛容と忍耐をお願いします。 いまから59年前の1945年8月6日、米軍は広島に原子爆弾を落としました。人類史上最大の悲劇が起こりました。日本政府は、最初は原子爆弾のことを「新型爆弾」と発表しました。この新型爆弾のことが日本国民に知らされたのは翌8月7日のことでした。7日15時30分、大本営が次のように発表しました。 「昨八月六日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり。敵は右攻撃に新型爆弾を使用するものの如きも詳細目下調査中なり」 私は当時小田原市の相洋中学の一年生でした。静岡県伊東市に住んでいました。このときどこにいたのか正確には憶えていませんが、湯河原の農家に学徒動員されていたのではないかと記憶しています。「新型爆弾」のことは口コミで伝わってきました。当時、私たちは毎日毎日米軍機の空襲下でやっと生きていました。米軍機から機銃掃射をやられたこともありました。近くに爆弾を落とされたこともありました。 1945年8月のことは、なぜかよく憶えています。8月9日には長崎に二発目の原爆が落とされました。このときも「新型爆弾」として発表されました。私は長崎新型爆弾のことも口コミで知りました。口コミの伝達力はすごいものです。 いまでは戦時中の日本政府の声明などほとんど注目されませんが、日本政府は二つの新型爆弾への抗議声明を発表しました。8月10日のことでした。一部を引用します。 〈米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガスないしその他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の與論により不法とせられりとし、相手国側において、まずこれを使用せざるかぎり、これを使用することなかるべき旨声明したが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において從来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられるを毒ガスその他の兵器を遙かに凌駕しておれり、米国の国際法および人道の根本原則を無視して…(中略)…無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。〉
 Q君。戦時中の大日本帝国政府の言い分は、1945年8月15日の敗戦以後、顧みられることはありません。45年8月15日以後は、すべてアメリカが正しく、日本側はすべて間違っていることにされてしまいました。この世の中、残念なことですが、勝てば官軍、負ければ賊軍です。この日本政府の新型爆弾に対する抗議声明は歴史の記録から抹殺されてしまいましたが、しかし、正しいことは正しいと言わなければなりません。 米国による原爆の使用は、国際法違反の非人道的行為であり人類文化に対する罪悪です。許すべからざる罪悪なのです。米国政府は原爆使用を正当な行為だと言いつづけていますが、これほど非人道的なことはありません。 われわれ日本人は米軍の非人道的行為があったことを永久に叫びつづけなければならないのです。これは8月6日広島、8月9日長崎において一瞬にして生命を奪われた数十万人のわが同胞に対する日本国民の責任です。
 Q君。1952(昭和27)年夏、大学生のときです。私は郷里・伊東の松川の淵で「原爆展」を開きました。丸木夫妻が描いた「原爆の図」です。米軍による日本の占領が終わったのは1952年4月28日でした。それまで広島・長崎に関する報道は米占領軍によって禁止されていました。独立とともに解禁されたのです。各地で大学生が原爆展を行いました。私もその一人でした。原水爆禁止の原則は私の原点です。あれから52年経ちましたが、私の気持ちは少しも変わっていません。
 Q君。君は第五福竜丸の悲劇のことは知っていると思います。ビキニ環礁での水爆実験で生じた「死の灰」を第五福竜丸が浴びたのです。このため久保山愛吉さんが死去しました。この事件が起きると、東京・杉並の一角から署名運動が始まりました。リーダーは安井郁法政大学教授でした。私も学生運動家の一人として安井教授の署名運動を手伝いました。1954(昭和29)年のことでした。このとき私は工学部の学生でした。 この運動は全国に拡大しました。世界各国にも広がりました。そして1955年8月、広島において原水爆禁止世界大会が開かれました。翌年8月には長崎で第2回原水爆禁止世界大会が行われました。このとき私は大会の実行委員・運営委員をつとめるとともに、大会のスポークスマンの役目を担いました。われわれは全世界に向かって原水爆禁止を訴えました。
 Q君。1960年以後私はジャーナリズムのなかで生きることになり、平和運動、反体制運動から離れました。ジャーナリストとしての仕事と運動家としての仕事は両立できないし、また両方を同時にしてはいけないと考えたからでした。また、ジャーナリズムの分野の仕事はあまりに忙しく、他のことは何もできなかったというのが真相です。そのまま今日に到りました。運動ができなかったことは申し訳なかったと思っています。
 Q君。夏が来ると8月15日の玉音放送を思い出します。広島と長崎の「新型爆弾」を知ったときのことを思い出します。短い間でしたが学徒動員の体験も記憶から消えません。1946年3月15日に、それまで2年以上行方不明だった兄の戦死がわが家に知らされたときの悲しい体験は決して忘れることができません。ビキニ環礁水爆実験やクリスマス島水爆実験に対しても激しい抗議行動を行ったこと、広島、長崎、東京の原水爆禁止世界大会のこと……すべて忘れることのできない体験です。当時は大多数の日本人が平和を本心から望んでいました。最近、平和を守ろうという世論が弱まったことは残念なことです。
 Q君。このごろ、戦争が好きと感じられるような人々が政界、マスコミ、財界のなかに増えていることは本当に困ったことです。テレビで自分があたかも戦中派であるように言いながら戦争を煽っている人を見ると、人類はいつになったら平和に生きることができるのか、心配になります。戦争を知らない人々には戦争の恐ろしさがわからないのかもしれません。悲しいことです。戦争の好きな人は何回戦争をすれば気が済むのでしょうか。
 Q君。最近、自民党だけでなく、共産党、社民党以外の全政党が憲法改正に向かって走り始めています。「アーミテージ憲法」といわれるような米国政府の対日政策に従った憲法改正に、政治家、経済界、マスコミが興奮して走り出しています。おそろしいことです。米国政府が求めている憲法改正によって、徴兵制が導入され、集団的自衛権の行使が可能となれば、日本の若者が米国の世界軍事侵略の先兵として使われることになります。少なくともそのおそれがあります。第2次大戦のときは日本の若者は「天皇陛下万歳!」と言って死地に赴かされました。今度は「ブッシュ大統領万歳」「アメリカ万歳」と言わされるのでしょうか。考えるだけでやりきれなくなります。こんなことを許してはなりません。
 Q君。1945年8月から59年経った今年の夏。決して原爆の悲劇を繰り返さないこと、再び戦争をしないことを日本国民の生き方として、再確認したい、と切に思います。
 Q君。民主党の岡田代表まで、米国へ行って憲法改正発言をするというのは、あまりにも軽率だと思います。憲法問題はもう少し慎重に扱ってほしいと思います。いま、日本国民全体で決意すべきことは、「アーミテージ憲法」といわれるような憲法は絶対につくってはいけないということです。アーミテージ憲法」だけは絶対にやってはいけません。政界は頭を冷やして、憲法改正議論を、日本の政治が米国の従属化から抜け出るまで冷凍するべきです。ではまた。 

続 http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0789.HTML

*噂「<最近、日米関係と防衛問題にタッチしてきた複数の知人から「米国が狙っている日本の憲法改正の最大の狙いは徴兵制にある」との情報が入ってきました。何人かの情報通に確かめてみると、「国会議員とマスコミと国民が憲法改正論でまとまったら、米国政府は最終段階で改正草案の中に徴兵制を可能とする条項を入れるように求めるのではないか。その時、日本は従わざるを得ないだろう」というのです。>





長い文章ですが、読んでください。

8月六日の記事は、なかなか書けそうもなく、スペースを開けておきました。
長い文章ですが、読んでください。

追記


那覇に対馬丸記念館開館。
http://www.tsushimamaru.or.jp/
「8月22日は開館セレモニーを予定しており、かなりの混雑が予測されますのでご了承下さい。なお、詳細については新聞等で随時発表してまいります。」

2004/8/18(wed)
メゾン一刻のころ

美容院に行った。

いつもなんの指示もなく、言われたとおりに「おまかせで」やっていた。以前10年以上通った美容院はカットがうまくて、そのままで充分サマになっていた。
そのお気に入りのヒトが自分の美容院を開いたのを機にやめた。ついて行きたがったが神奈川では遠すぎた。
その美容師は不思議で、初めて会ったときにわたしが使っているシャンプーの名前をあてた。そして楽しそうに髪を切る。楽しそうだったから、見ていても気持ちがよくて指名(無料)していた。春には春らしいカット。なれなれしい口も利かないし。それで10年。頚碗になった時もあるけど、客に対する態度はスマートだった。わたしも無理は言わなかったが。


後ろの席に座っているのは、Xジャパンのメンバーのお母さんだと言われても、そんなことは店のオーソライズにはならないない。
わりと高級住宅街の奥様がくる美容院だが、その「洒落た」雰囲気にも魅力はない。
そのうち手抜きが出てきた。料金があがった。原宿に店を出したからだと思う・・・。千葉で一番上手い店だと言ったのは、同級の美容師の友人Tちゃんだが。でもわたしは、気乗りがしなくなった。
そんなことがあって、なんとなく安いところに変えた。仕事がなければどうだっていい、という気持ちもあった。


昔、Kさんという友人が原宿の美容院にいって、いきなり「チェッカーッズの文也みたいに、してくださいッ!」と言ったという。その話を聞いて友人たちは苦笑したが、わたしはKさんを「潔よい」と思った。わたしもその頃は、文也の頭にしたかったからだ。なかなかそうは言えないという思いは、誰にもあるだろう。
わたしは、ずっとそう思っていた。だから今回は美容院で「はなちゃんの頭」を希望してみた。
はなちゃんは吉本のはなちゃんではない。はなちゃんはモデルで3ケ国語を話し、セイン・カミュと同級だった人だ。
ショート・カットで前髪が短いのがいい。待ち時間に雑誌を見ていたら似たような写真があったので助かった。そのページを指差し「こんな風にできますか?」「できます。」うふふだった。
あっという間に、短くなって「はなちゃん」に似てきた。そして最後は、ワックス。ひし形にすればいい。顔を除けばかなりいいセンだった。値段相応の満足で、「ありがとう」と言って帰ってきた。次回指名をすると300円になるなぁ、なんて思いながら。


西日に向いている通りを出ると、わたしは些か気持ちが軽くなっていた。混んだ美容院でないのは、いいなぁ。


この2ヶ月ほど、気にかかっていることがある。
もしかして、以前の美容院にいた人が、最近帰ってきているかもしれない。三度ほど出くわしているのだが、服装といい持っていた袋といい、同一人物とは判断しかねる。でも、最初に会ったとき、お互いに見つめた時間に記憶を探りあった気がしてならない。

表記の間違い。

文也・・・フミヤでした。文也は中也の息子でした。

2004/8/16(mon)
芭蕉の夏。

芭蕉とバナナの区別がなかなかつかなくて、2本のそれらしきものを一年見守ったら、どうやら区別がつくようになった。(どちらも芭蕉布には使うみたいだが)
温室のバナナをしっかり見て、バショウの側に行ったら花が咲いていた。暖かければ、これらは一年中咲いている花なのかもしれないと思いました。

深川の芭蕉庵には芭蕉があり。芭蕉は弟子とそれを愛でたり株をわけたりしていたようです。吉本バナナの名は、どうなんだろう。
芭蕉はちょっとした園芸家だったみたいで、そういう絵を見つけた。こういう発見は、楽しい。
あわせて原文を読むと、生き生きとした芭蕉庵の様子が目にに浮かぶのだ。


「芭蕉を移す詞」

『牡丹は 紅白の是非にありて、世塵にけがさる。
荷葉は平地に立たず、水清からざれば花咲かず。
いづれの年にや、住みかをこの境に移す時、
芭蕉一本を植う。風土芭蕉の心にやかなひけむ、
数株の茎を備 へ、その葉茂り重なりて庭を狭め、
萱が軒端も隠るばかりなり。
人呼びて草庵の名とす 。旧友・門 人、
共に愛して、芽をかき根をわかちて、
ところどころに送ること、年々になむなりぬ。
一年、みちのく行脚思ひ立ちて、芭蕉庵すでに破れむとす
れば、かれは籬の隣に地を替へて、あたり近き 人々に、
霜のおほひ、風のかこひなど、かへすが へす頼み置きて、
はかなき筆のすさびにも書き残 し、
「松はひとりになりぬべきにや」と、
遠き旅寝の胸にたたまり、人々の別れ、
芭蕉の名残、ひとかたならぬ侘しさも、
つひに五年の春秋を過ぐして、再び芭蕉に涙をそそぐ。
今年五月の半ば、花橘のにほひもさすがに遠からざれば、
人々の契りも昔に変らず。なほ、このあたり得立ち去らで、
旧き庵もやや近う、三間の茅屋つきづきしう。
杉の柱いと清げに削りなし、竹の枝折戸やすらかに、
葭垣厚くしわたして、南に向ひ池に臨みて、水楼となす。
地は富士に対して、柴門景を追うて斜めなり。
淅江の潮、三股の淀にたたへて、月を見るたよりよろしければ、
初月の夕べより、雲をいとひ雨を苦しむ。
名月のよそほひにとて、まづ芭蕉を移す。
その葉七尺あまり、あるいは半ば吹き折れて鳳鳥尾を痛ましめ、
青扇破れて風を悲しむ。
たまたま花咲けども、はなやかならず。茎太けれども、
斧にあたらず。かの山中不材の類木にたぐへて、
その性たふとし。僧懐素はこれに筆を走らしめ、
張横渠は新葉を見て修学の力とせしなり。
予その二つをとらず。ただその陰に遊びて、
風雨に破れやすきを愛するのみ。以下略。』



成瀬巳喜男監督の作品で、森雅之を追いかけて高峰秀子がゆく。そこに芭蕉がたくさんあったシーンが、忘れられない。ゆっくり回る扇風機。マレーシアが舞台だったのだろうか。「放浪記」だったり・・・・謎

2004/8/15(sun)
雨降りの涼しい日

やっと来た、雨降りの涼しい日。
どっと温度がさがった。
年よりも病人も「ひといき」ついた。戦後初の記録的炎暑。

でも、誰も動かない。(爆)

午後から、友人宅の墓参りについて行く。
市民霊園だが、縊死した友人の弟の墓におまいり。夕食をみんなで食べるかと思ったら断られてしまった。
みんな体調が悪いみたい。

2004/8/14(sat)
暑いので「代参道中記」(爆)

炎天下、墓を巡った。
老人には酷だ。だが母はこういうことは、きちんとしないと気がすまない気性だ。母方は都内だし、お墓も多いから、パス。
親戚に頼んだ。
父方は地元だ。C大の裏手の二箇所の、墓地に数世帯分ある。一箇所は真言宗、もうひとつは浄土宗。

暑いと思って、午前中行ったら誰も来た様子がない。何というヤツラだ。(笑)迎え火は夜だからなー。
線香と花、暑いので水はたっぷり。
全部やったら、二時間かかった。わたしは、いろいろ墓に喋った。みんなで来て、お父さんを助けてください。おばちゃんもね。・・・なんて。終わったあと、帰ろうかとも思ったが、近くのC大に寄った。


C大は夏休みで、がらんとしていた。管理人のおじさんがいたので、挨拶とお茶をあげたら、半分寝そべっていたのに立ち上がってきた。
「里へは帰らないのか?」と言われた。「里はここなんです」と言うと「そうかぁ。」と言っておじさんは「十日町だよ。コメのおいしいところさ・・・」と言った。
暑いので花がみんな、へたれている。薬草園の方に、目をやると。
「ちょっとやそっとの水じゃすまない。」とおじさんは行った。街路樹の「なつつばき」も今年は綺麗な花をつけたのに、もはや枯れそうになっている。
林があれば保水性があって、こんなにはならないのだ。


帰宅。
母は喜んだ。そしてこんな話をした。母はばあちゃんより、じいちゃんが好きだったのだ。


「母の話」

ある日おじいちゃんは、早朝、釣りに行こうとして飯合に冷や飯を入れて、台所に置いていた。翌日出かけようとして台所に飯ごうを取りに行ったら、なかった。
寝てる間に泥棒に盗まれたと思ったが、余程事情があると思って、警察には届けなかった。その後、泥棒が捕まり、おまわりさんがきて「なんで届けなかったのか?」とおじいちゃんを怒った。おじいちゃんは警察に、なんで泥棒がおじいちゃんの家に入ったかを聞くと、泥棒の家には子供がいてひもじい思いをしていたので、つい盗んだということであった。結局おじいちゃんは届け(被害を届)を出さなかったので、始末書を取られた。
翌日、おじいちゃんは、ご飯を持って差し入れに行った。泥棒にである。
警察の所長は驚いて、なんで差し入れをしたのかと、問い詰めた。
おじいちゃんはわたしにも10人の子供がいます。いろんなことは我慢ができるが、おなかがひもじいのには耐えられない。子供たちがいつそんな思いをするかわからない。そうなった時、このように遇してもらいたいのです。と言った。


なんて立派なじいちゃんなんだ!
わたしは感動してしまった。お盆の時のこういう話はいい、泣きながら話す母もいいが、送られてきたプレゼントのリボンを使って門の「青いリボン」をかけ直そうよ。
などと言う娘も、なかなかいい景色ではないか、とわれながら思うのです。





青いリボンは

青いリボンは、近所でぽつぽつやっている「拉致被害者支援」のリボンです。
父に軍人勅諭は、軍内でよく使われたのか?聞いたのですが、ご都合主義軍国老人はやっぱわからないようでした。島崎藤村が加筆したという噂があるので・・・・。

2004/8/12(thu)
The BEST ジャコウアゲハ

もう、百点あげちゃいます。99点かな。動画が撮れなかったから。
慌てるんです。撮ってるときも、どきどき、天使に出会ったみたいでした。

2004/8/13(fri)
一日ぶらぶら。

ハマナスの実がなくなっている。みんなローズヒップに使っているらしい。残った実を捜さねば。
急に高価なものになったみたいに捜す。・・・とやっぱりC大だ。
夏休みだから構内も静かで、今回は携帯蚊取りが利いたみたいだった。本部前のクスノキの下には無数の蝉の穴があった。桐田さんが言っていたように、今年は蝉が多い。絶対多い。道にも落ちてるんだから・・・。

ついでに種を戴いてきた。おじさんもこの暑さに、少し枯らしていたものがあった。無理はない。
今日は冷たいものを持ってきていない。

種を収集。わたしはベラドンナの種を手に入れた・・・ご要望の向きはこちらまで。(笑)
ハナスゲ、チョウジソウ、ユウガオ、ヒロハノレンリソウ、白いユウガオ。あり枡。

2004/8/11(wed)
蝉しぐれ・・・・・川村美術館

今日の午前中は最悪だった。歯医者さんが突然「やる気をだして」その生贄になった気分だった。
この先生は、とてもうまくて今まで痛かったためしがない。それなのに今日は痛かった。「はい、痛いですよー」と言ったのだ。
痛いと思ってうがいで血を見て、型の取り直し。一時間はゆうに超えた。その後、歯垢清掃、歯磨き指導・・・。
人は二時間も歯医者の椅子に座ってられるのか。口をあけ、ずっと前にNYの11階のビルにある、歯医者に行った記憶がまざまざとよみがえった。言葉が通じなくて治療中、ゴジラが窓から覗くんじゃないかと思った。それ以来のピンチ!今日も、椅子から一生離れられない気がした。
そして終了のはずが、次週ということになった。

オーマイ・ゴッドのあと、わたしは「いっそのこと入れ歯にして」と受付の明眸皓歯の女性に依頼したくらいだ。この提言はもう、三度目くらいで、その都度「歯を残す」方針だとあっさり断られている。
帰宅するのには、力が入らなかった。真夏に歯を、いじってはいけない。魂を抜かれる。
帰宅したら、頼んでいた友人の甥が、自慢のベンツに乗ってきた。わたしを拾って、友人を拾って三人で行くのだ。
去年は弟夫婦と来たときより、少し造成したようだった。

人はほとんどいない。庭園は、警備の人がいるくらい。暑いので誰も来ないのだ。
ちょっとした林に入ると、ヤブミョウガがぎっしり咲いていてチョウトンボが、誘うようにひらひらと止まる。チョウトンボは、何度もシャッターを切ったのだが、結局一枚もモノにならなかった。けれど、二人はイトトンボや蝉の種類や、ヤンマを見ては喜んでいた。アキアカネを捕まえたりもした。


あまり暑いので、美術館に入った。入り口のフランク・ステラは、開館当時のもの。
千葉のこんなところに、現代美術館という行幸に、わたしも馳せ参じたのだった。
ここは不便。これがゆっくり見られる秘訣だ。わたしの好きな、ラウシェンバーグもあるが、今日はマーク・ロスコ。展示は現代美術が減ってきている。
甥が叫んだ。これって画ですか?「あの、ミケランジェロとか、そういうのと同じですか?」同じってことはないだろう。何千年も経てるのとは、やっぱり違うだろうな。


三人でお薄を飲んでいる時、彼はロッポンギにおいしいお茶のお店があるという話をした。花は、去年より少なかった。展示もちょっと物足りなかった。
結局お茶のお店にある、川合玉堂の「かわせみ」の写真を、(撮影OKなので)撮って外に出た。
ああ、「蝉しぐれ」だと思った。生まれて初めて「蝉しぐれ」なんだと思った。

2004/8/10(tue)
明日は、歯医者

父が2、3日前に転んで頭を切った。
たいしたことはないと思うし、本人も病院には行きたくないというので、そのまま加療して行くことにした。ちょっと出血したが、吐き気などもないのでいいだろうと思う。

今日は朝からぐずっていて、原発事故で亡くなった人のことを、かわいそうだとしきりに言う。
父はボケてはいないから
目と鼻の先にある高校野球の千葉代表の試合もちゃんと見ていた。
気が弱っているのだ。食欲はこれから細くなると言われているが、今だって体重は5�舛詫澆靴ぁ�
目先を変えようと、ちょっと離れた八百屋に行く。
家の植木鉢にもきのこが生えたが、なんとマツタケが出ていた。千円ちょっと。いいか・・・。

マツタケとうなぎと残りのカレー。フキノトウの佃煮と山椒の佃煮で、少し食べた。ほっとした。



以前書けなかったが長野県知事「目安箱」なるものに、霧が峰のことを書いた。県外のたまに遊びに行くくらいで投書しても返事を期待はしていなかった。ちょうど白骨温泉の事件もあったし・・・・。
が、先週とても丁寧な回答がきたのだ。急ぐことはない。堅実にそういう態度を示して行けば、と思った。田中康夫はえらいっ!石原なんか「へっ」だ。



明日は、歯医者。午後は川村美術館の予定。
不思議なこと、次郎吉の嘴が大きくなってるみたい。

2004/8/8(sun)
アシュケナージが武満徹を・・・・・・。

昨日は、18時からカラスウリの撮影をした。
5分置きに三個分、二枚ずつ。
近所の民家のカラスウリだ。去年発見し、「わぁ、ここにもある」と言ったら、「これは仙台から、持って帰ったもの」だと家の人が言った。今年は去年の何倍も咲いているけれど、木の上のほうが多い。虫除けスプレーとムヒ持参で、まあまあ。

今日は昼間は、愛新覚羅 溥傑さんのところで花の様子を見よう(カキランのこぼれ種)として出かけ、山野草の好きな駅長さんに引っかかった。ホームに飾ってあるのは、彼の作品で先月はレブンウスユキソウが咲いていた。駅長さんは、礼文島の許可みたいなのも見せてくれた。
「写真を撮らせてください」と改札を入って行くのにも慣れた。
前に行った時に、気安い駅員さんがこういうのは高いのかというので、「高いよ」と言ったら「いくらくらい?」「一万円くらいするのもあるよ。」というとひとつ、ひとつ値段を聞かれた。そんなこと知らないけど一番高そうなのに、一万円をつけたら駅員が三人も出てきて、つくづく見直していた。「オレ、これ貰う」と前に立ち尽くす人もいて、爆笑。

山野草の愛好家というのは男性が多い。たいした腕を持っているけど、案外偏りがある。まあ、わたしがやったら、そんなの・・・すぐ枯れちゃうのだ。


帰ってから、収集した種を。保存すべく整理、九輪草の種をほぐす。
昨日、今日とオオボウシバナとウマノスズクサの種を撮ろうとして、うまくいかない。ウマノスズクサはなぜか、一斉に花がなくなることがある。今日もそういう日だった。昨日は咲いていたのに。
ウマノスズクサは特に興味がある。食虫植物みたいだから。でも、先にできた種は、冷蔵庫に入れてしまった。これは大失敗かも知れない。

N饗でアシュケナージが、武満の「鳥は星型の庭に降りる」を指揮している。今日はここで終わり。

付記

http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/umanosuzukusa.html

ウマノスズクサのHPです。

武満、なんだか泣けちゃうね。

続、追記

ちょっと、検索したら以下のような薬効があると書いてあった。「解熱、解毒、鎮咳、血圧降下、はげの防止に効あり」

2004/8/5(thu)
暑い日の通院

昨日、父がとうとう床屋に行った。床屋に行くはずの日に入院したのだ。退院後、足が弱っていて、まずいかな?と思っていたら、先週は犬の散歩を始めて今日は自転車で床屋に行った。この暑いのに。すごいなー。

今日はわたしの通院。弟の運転、お供がHさん。
こんな日に電車に乗って行くとしたら、とても辛いと思う。二人は会社のことなんかをよく知っていて、どこどこの会社が合併したとか、民事再生法の対象になったとか、そんな話をよくする。この手の話をわたしは女性にされたことがない。
そのうち、行く手前で風力発電を見て、原発の話に及んだ。脱原発を試みることもなく原発が作られた日本。ドイツはすごいな。わたしと弟が言う。そして坂本龍一がいいという話は、わたしも入って行ける会話だ。遠くお台場の、船のドッグが見える。
この暑さは戦後初だというが、まさに熱暑だ。

2004/8/4(wed)
サキイカダイエットのこと。

ネットで、イカが名産の佐渡の話が出て、思い出し買い物の隙に、自分で買ったことがない「サキイカ」を買った。
なんとなく、むしゃむしゃと食べていたら「案外いける」ことに気がついた。
昔は、佐渡のイカはアルゼンチン産だったし、チバのあわびは佐渡のものだった。
正岡子規が書いたみたいに、どこ産の何(明石の蛸とか)とわかるのは素晴らしいし羨ましいと思うが、今はそれを鑑定するのは大変なことなのだろうし、本当に書かれたらよほどげんなりすることだろう。
流通はTVで、牛ひとつとってもめちゃくちゃだった。保健所だって、モノを見てから処分などが出るだけで、流通なんか把握してないだろう。
サキイカ。「北海道産」と書かれていても、それは加工をしたところの名前で、産地がアルゼンチンなのは変わらないように思う。


でも食べる、どこ産のイカでも食べるという気になってみれば「サキイカ」は案外おいしかった。
とにかくわたしは「サキイカ」に目覚めたのだ。
そして、食べてるときに、ふと思った。犬のチューインガムみたいにこれを齧っていれば、余計なカロリーの多いものを食べないで、ダイエットできるのではないか?
読めば馬鹿だと気づくけど、そのときはちょっと真剣になった。
犬のチューインガムは説得力があったのだ。
わたしは、三日ダイエットをやった・・・・と言えるのか?
最後の日は昨日だった。イカを食べてる間は、我慢をしているという気持ちが余計食欲を唆す。医学的には噛む行為が満腹中枢を刺激して、満足感が得られるはずなのに、満腹感は一向にない。わたしは、二日目から「サキイカと○○」を食べているだけだと疑いだした。
そして昨日、その確証を得たのだった。
サキイカではお腹がいっぱいにならない。やはり、迷ったあげくお稲荷さんを、どっと食べた。
あーあ、この暑いのに何してるんでしょうね。



ちなみに先日きた千疋屋の案内では果物セット
マンゴー(メキシコ産)、パパイヤ(ハワイ産)、ネーブルオレンジ(カリフォルニア産)、キウイフルーツ(ニュージーランド産)2個、アボカド(カリフォルニア産)、グレープフルーツ(フロリダ産) 。こういう産地表示で、6300円だ。
そして、今を盛りの桃も、岡山のは、袋をはずさないために白く、山梨などでは袋を収穫前にはずすので赤い。品種は同じだという。

貧乏人は無知である。まあ、わたしだけだが・・・・。






追記

サキイカ・ダイエットは、高血圧になると思います

2004/8/3(tue)
再びカラオケについて。

一昨日、誘われてまたカラオケに行った。
誤解しないでください。わたしの周辺でカラオケが好きなのはたったひとりです。(笑)
もちろん安いところに行くのだが、夏休みでとても、混んでいたらしくていつもは開いている2階の入ったことがない部屋に案内された。
新しい機械らしい。まずリモコンをもって頭をひねった。「決定」というボタンはあるのだが、番号を入力できない。TVのリモコンみたいだった。
おじさん、おばさんはここでかなり悩んだ。あげく電話をした。すると違うリモコンを持ってきた。(がくっ)。
リモコンは二ついる。拍手とか男の声とか、そういう操作ができるのだ。


新式の機械はシビアだった。「プロに挑戦」という設定にしたら、いきなり「かーん」と鳴った。NHKの喉自慢みたいだ。彼は笑いながら頭をかいた。
わたしは、嫌だなぁと思いつつ「スカボロ・フェアー」を歌った。そして、やはり終わるちょっと前に鐘がなった。この鳴るタイミングが絶妙なのでふたりで感心した。
悔しいと言って彼は、「ぺこちゃん、紅白歌合戦方式にしようよ。これじゃ歌えないよ」と言った。本当だ。彼は1小節しか歌っていない。(爆)やや怖気づいたわたしは、紅白歌合戦方式に賛成した。「これは、やったことないけど、今のカラオケは偏差値とか、いろいろあるんだよ」と彼は説明した。(おお、嫌だ)そして彼は5回も連続勝っているわたしに「今日は勝つよ」と宣言した。
彼のカラオケ暦は長いらしく、初めて二人で行った日に「ぺこちゃん、単価が違うよ」と言っていたのだ。(爆)
以来、彼はそれを口にしなくなっている。とまれ、紅白歌合戦方式というのは、三回勝負とかあって、毎回二人が歌ったあとに加算された点数がでる。だから一曲の点数は、計算しないとでない。(爆)
これはやっぱりグループ向きだった。
いつもと調子が違うので彼はちょっと焦っていたが、逆転の好機だとも思ったらしい。TV風リモコンを離さなくなった。キー・コントロールは彼がやっている。(内心、これじゃ負けるよ・・・と思っていた。丸山圭三郎によれば)


結局、最後は「アマに挑戦」にしようということになった。これなら、鐘はならないだろう。アマチュアなら結構、いいかもしれない。彼は得意な英語の歌を三曲立て続けに歌って、「ぺこちゃん、ここは厳しい」と言った。昔100点を出した歌が62点だったのだ。わたしは、選曲のカタログも違っていて、初めての辞書みたいに(実際、そうだが)うろうろしていた。「どうぞ、どうぞ」と言って。


自棄だったのか?突然彼は、スター錦野の「空に太陽があるかぎり」を歌いだした。初めてだった。・・・・と「かーん」(爆)アマチュアでも鐘がなった・・・。蕭然として彼は、「なんだよ」とつぶやいた。


帰るとき、彼は「今日は勝ちだよね」「五連勝阻止だね」と言った。「ろくれんしょう」とわたしは訂正した。
結局わたしは彼の意地悪な、キーコントロールでソプラノ歌手みたいな、声を出さなくてはならなかった。ま、いいか。

2004/8/2(mon)
悪訳は、滅ぶべし・・・・

大切な本を悪い訳で読んだ辛い経験は、誰にでもあるようなことだ。そして悪い訳と気がつかないのは、代替するものがないからだと思う。
高校時代に教師に恵まれて、フランクルの「夜と○」(ヴィクトール・E・フランクル著)を教わって読んだ。たった9日間で書かれた本だと知らなかったが、ただ、ただ衝撃的だった。
有名な本なので、読書家は読んでいるだろうが、なにより際立ってすばらしいのは、彼が精神科医であったことだ。
強制収容所からのレポート「夜と○」は世界的に読まれているそうだが、日本では1985年に旧訳がで、2002年に新訳がコレクションという名でセットとしてでた。
先年わたしはその違いは知らず「それでも、人生にイエスという」という著作集の一冊をアマゾンで買った。


何でこの本が気になっていたかというと、むかし一緒に仕事をした尊敬する医師が、フランクルの言葉だと言った「闘病も立派な仕事だと、フランクルは言っているよ」というような言葉が頭にあったからだ。聞きながらわたしはこういう医者だったら、患者はどんなに救われるだろうと思ったのだ。
というわけで、(先生が読んで言うくらいだから)もうとっくに出版されていると勝手に決めていた。愚かなことに、先生が原書で読んでいたのかも知れないなんて、考えていなかった。(汗)
とにかくシリーズや全集の時には、ぜったぁ〜いに、訳者をチェックしなければいけない、それを、怠った罰のように10ページずつ読んでは、止まり読んだら止まり・・・。
あげく、本を投げた。本当に投げちゃったのだ。(怒)、
みんなーっ「夜と○」は、絶対旧訳で読むべし。

どうか「日本語がだめな人に翻訳はやらないでください。やらせないでください」」

○ランクル著作集が出た。悪訳、最低。友人に上げるのは中止という話題です。もぅ。

2004/8/1(sun)
「中華丼の具」から(笑)

「中華丼の具」というダンボールに入って、一輪挿しが届いた。
九谷のききょうの絵で、安かった。本当は竹の網籠の一輪挿しがいいのだが、どこかに片付け(!)てしまった。
昨日は歯医者に行き、終わりの予定だったのが、また虫歯が見つかったおかげで延びた。麻酔のかかったまんま、いつものとおり3軒の花屋をめぐっていたら、比較的新しい花屋さんでりんどうを見つけた。
創○学会の会館前から、ようやく引越しできた花屋さんで、開店のときにそんな話をして「よかったですね」と言ったら「はい」とちいさく頷いたかわいいお姉さんだ。
リンドウの色は3種。「あまりよくない」とおまけをして貰った。
野の花はあまり良くないくらいでちょうどいい。
わたしは八月になると必ず、花を買う。仏花ではないが、気持ちはそんな感じだ。
そして8月になるとしみじみしてしまうのは、生活保護の記録に、「敗戦」と書き続けてきたせいもあるかも知れない。何度も書いては付き戻された書類に、さらに「敗戦」と書くことは、半ば意地のようであった。たぶん戦争を経験した人の中に、間尺に会う言葉はない。

「権力というのは、大和政権の昔からレトリックにたけている。」by 坂本隆一
話が飛んでごめんなさい。

もう一個の出来事。

暑さの中、赤い夾竹桃が揺れている。夕方なのにアスファルトは激しい熱気を帯びている。家にいるしかないような日なのに、友人が借金を申し入れてきた。なにやら最近、素行怪しきぺこちゃんの友人です。困ったことです。そんな友人20年いねーぞぉ(笑)。


最近壊れてしまったCDプレイヤーを、ようやくMDプレイヤーに繋いだ。久しぶりに、モーツアルトを天才ポリーニの師匠、ミケランジェリ(ピアニスト)で聴いた。ミケランジェリは「氷の」とか「完全主義者」と形容されるくらい美しい音を出すピアニストだが、ドビュッシーばかりが有名で、モーツアルトはどうだろう?完全主義者で録音は余りないから、聴いてる人もいるんだろうな。

まぁ、なんでそんなことになったかというと、ミケランジェリについての本の書評を読んだからだ。
わたしにとっては、放っておいたミケランジェリ。捨てられた売れっ子芸者のようになっていたミケランジェリ。
それをひさびさに聴いてみて、いっぺんに感動してしまった。(爆)何とはなしに天才モーツアルトとの組み合わせは良くない、と思いこんで聴いていたので、もう一回やりなおしみたいなこういう機会はありがたい。
聴けば満面の笑みで、ミケランジェリがやってきたみたいな気分になった。(ヘンな例えだ。)
本当にわたしは、何を聞いていたのだろうか?天才はいろんな側面を見せるのだ。



モーツアルト万歳!ミケランジェリ万歳!

*アマゾンでは売り切れでした。タイトルは「ミケランジェリ ある天才との綱渡り 」コ−ド・ガ−ベン (著), 蔵原 順子 (訳)

**これからカラスウリを撮りに行きます。カラスウリ万歳!



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